
ドジャースで山本由伸選手の専属通訳を務める園田芳大(そのだ・よしひろ)さん。
46歳で通訳の仕事に転身。意外にも園田さんは、野球に深く関わる人生を送っていませんでした。
しかし、メジャーリーグの舞台で山本選手の専任通訳に抜擢され、さらに話題の「言ってない語録」を生み出すきっかけにもなりました。
一体、どんな人物なのでしょうか?
今回は、園田さんの経歴や通訳になるまでの経緯、そして愛される人柄について深掘りしてみました!
山本由伸選手の通訳・園田芳大さんとは?【経歴まとめ】
園田芳大さんの経歴はこちらです。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 園田芳大(そのだ・よしひろ) |
| 生年月日 | 1977年12月23日 |
| 出身地 | 熊本県 |
| 中学 | 豊野中学校(柔道部) |
| 高校 | 九州学院高等学校(柔道部) |
| 大学 | 龍谷大学(柔道、関西3位) |
| 職歴 | ハリウッド映画関連会社勤務 |
| 通訳デビュー | 2024年、ドジャース・山本由伸選手の専属通訳(46歳で初挑戦) |
園田さんは熊本県出身。
学生時代は柔道一筋で、大学時代には86キロ級で関西3位に入るほどの実力者でした。野球に触れたのは小学生の頃まででした。
卒業後は単身渡米し、ボストンやオクラホマシティなどを転々としたのち、2003年からニューヨークを拠点に映画制作会社で照明スタッフとして活躍。
『メン・イン・ブラック』や『アメイジング・スパイダーマン』など、有名映画の制作にも携わりました。
山本由伸選手の専属通訳になった経緯
野球とはまったく関わりのない人生を歩んできた園田さん。
長年、映画の現場で技術者としてキャリアを積んできました。
そんな彼の人生が大きく転換したのは、2023年に起きた映画業界の大規模ストライキの時でした。
このストライキは、アメリカの映画・テレビ業界全体を揺るがせた歴史的な出来事。
AIの利用や報酬の見直しを巡って、約118日間にも及ぶ、ハリウッド史上最長のストライキが起きました。
制作現場のあらゆる活動がストップし、園田さんの仕事にも影響が及びます。
そんな日々の中、野球中継ばかり見ていた園田さんが、偶然目にしたのが「通訳の公募」でした。
山本選手のマネジメントを担当する「ワッサーマン・メディア・グループ」が、日本人通訳を募集していたのです。
英語を話せるとはいえ、通訳は未経験。
それでも、園田さんは5度の面接を経て見事合格し、46歳で初めて通訳デビューを果たします。
こうして山本由伸選手の専属通訳として、ドジャースで新たな挑戦を始めることになりました。
園田芳大さんの人柄と山本由伸選手との関係
園田さんは、誰にでも好かれる人間性で愛されキャラでありながら、時にはいじられキャラとしても知られています。
英語力はもちろんですが、純粋さや素直さも彼の大きな魅力です。
時には、一回り以上年下の山本選手から、
「ソノピー」
と呼ばれるほど親しまれ、その温かい人柄と誠実な仕事ぶりで、チーム内でも欠かせない存在となっています。
園田芳大さんは「通訳下手」?努力と信頼で築いた絆
実は、園田さんについてネットでは、「通訳が下手」という声を見かけることがあります。
真相を調べてみると、やはり通訳の仕事は簡単ではなく、当初は戸惑いもあったとのことが分かりました。
メジャーリーグの通訳としての初仕事は、右も左も分からない状態からのスタート。
園田さんは、山本選手の通訳に就任してわずか2日目に、辞任を申し出ていました。
野球の知識もほとんどなく、全くの異業種から飛び込んだ新しい環境に戸惑いを感じていたそうです。
そしてドジャースのスタッフであり、かつて野茂英雄氏の通訳を務めたスコット・赤崎さんにその思いを打ち明けました。
「辞めたくはないが、続けることができない」──
園田さんの正直な言葉に、赤崎さんはこう諭したといいます。
「野球の知識は学べばいい。由伸が君を通訳に選んだのは、他の誰にもない理由があるんだ。」
その言葉に背中を押され、園田さんは葛藤の末に辞任を思いとどまります。
そして、山本選手には不安を打ち明けることなく、通訳としての仕事に全力で向き合う決意を固めました。
持ち前の努力家な性格と、まっすぐに取り組む姿勢。
そして山本選手をはじめ、周囲の温かい支えもあって、園田さんは今も通訳として奮闘しています。
通勤途中も勉強を欠かさず、日々スキルアップを続ける園田さん。
その努力は少しずつ実を結び、仕事ぶりが高く評価されるようになりました。
山本選手自身も「園田さんは陰で努力していて、本当にすごい」と語っており、着実に成長している様子が伝わってきます。
園田芳大さんが通訳に選ばれた理由【考察】
園田さんの経歴から考えると、世間から「通訳が下手だ」と思われてしまうのは仕方がないのかもしれません。
しかしドジャースや山本選手が、園田さんを採用した背景を考えると、完璧な通訳を求めていたわけではないことが分かります。
通訳の公募には多くの応募者が集まり、経験豊富な人や野球に詳しい人もいたはずです。
それでも園田さんが選ばれたのは、彼の努力家な性格や愛される人柄、そして成長するポテンシャルを見込まれたからかもしれません。
不完全だからこそ、予測不能な“人間味のある通訳”が生まれます。
それが、「言ってない語録」といった面白さを生み出すきっかけになったのかもしれません。
