戸田奈津子さんの家族が知りたい!夫や子供はいる?両親や生い立ちは?

映画字幕翻訳家として数々の名作映画を支えてきた戸田奈津子さん。彼女の名前を聞けば、映画好きなら誰もが知っている存在ではないでしょうか。

そんな戸田奈津子さんですが、「結婚はしているの?」「家族はいるの?」と気になる方も多いのではないでしょうか。

本記事では、戸田さんの家族や生き方に触れながら、その魅力を探っていきます

戸田奈津子さんに夫や子供はいる?結婚しない理由とは?

結論から言うと、戸田奈津子さんは結婚しておらず、夫や子供もいません

では、なぜ結婚を選ばなかったのでしょうか?

戸田さんは、

「20代はお見合いも勧められましたが、仕事を捨ててまで結婚したい人はいなかったな。」

と語っており、チャンスはあったものの結婚を選ばなかったことが分かりました。

時間は有限で、好きではない人と結婚するのは、人生を無駄にすることになると考えたそうです。

さらに戸田さんは、

「お見合いしたら、とか言ってきたんですけど、私は一切興味がないわけ。字幕しかやりたいことがなかったんです。」

と話していたことから、結婚より、字幕翻訳の仕事がしたいという気持ちがとても強かったことが分かります。

ひたすら映画が好きで、ずっと映画に恋をしてきた人生だったのです。

映画に夢中で、それが彼女の人生そのものになっていたということなのでしょう。

今よりも「結婚=幸せ」という価値観が根強い時代であったと思いますが、戸田さんは周りに左右されずに、自分が心から楽しめる道を選び続けてきました。

生い立ちと家族:幼少期に父を亡くし、母と二人三脚の生活

戸田奈津子さんは 1940年7月生まれ。東京都で育ちました。

戸田さんの父親は、愛媛の農家の息子でした。銀行員として働いていた父は、戸田さんが生まれて1年ほどで軍隊に召集され、中国で戦死しました。

わずか1歳で父を亡くした戸田さん。残された22歳の母は、幼い戸田さんを連れて東京・世田谷の母の実家へと移り住むことになります

戸田さんの母はその後、教員になる道を選び、東京女子高等師範学校(現在のお茶の水女子大学)の教員資格養成所に入学。戸田さん自身も、母の進学に伴い、同じ敷地にあった附属幼稚園に通い始めます。

1945年の東京大空襲では幸いにも家が焼けることはなかったものの、一時的に父方の実家がある愛媛県西条市へと疎開しました。

戦後になって再び東京・世田谷に戻り、名門であるお茶の水女子大学附属小学校・中学校・高校へと進学しました。

その後、英語を本格的に学ぶために津田塾大学英文科へ進学しました。

映画漬けの学生時代:字幕翻訳者を夢見て

戸田奈津子さんが映画と出会ったのは中学生の頃

とにかく映画が好きで、映画館に通い詰めていたそうです。そして、大学時代も変わらず、

「単位を取るだけの授業には出ていたが、それ以外の時間はほとんど映画館に入り浸っていた。」

と振り返っています。まさに映画漬けの毎日だったのですね。

映画が好きな理由の背景には、戸田さんが生きてきた時代背景も関係します。

「もののない不自由な戦争中に生まれ、狭い環境で育ち、終戦によって押し寄せてきた外国の美しいものに魅了され、1枚の白いスクリーンを通して、まったく異なる世界へ一気に飛びました」

と語るように、映画が戸田さんにとって、特別な存在でした。

そして映画翻訳者になる夢を叶えるまで約20年。

長い道のりでしたが、戸田さんは一度も夢を諦めることなく突き進みました。

戸田奈津子さんの明るい性格と広がる交友関係

戸田奈津子さんと言えば、多くのハリウッドスターと交流があることでも有名です。中でも、トム・クルーズさんとは30年もの間、親交があり、誕生日には花束が送られてくるそうです

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戸田さんとトム・クルーズ、2人の30年の親交について詳しく知りたい方はこちらの記事でどうぞ。→戸田奈津子×トム・クルーズの関係は?2人の絆を深掘りしてみた!

さらに戸田さんは、現在も新しい友人が増えていると語っています。

「年を取ると友達が減るって言うけど、私はこのところ増えているの。違う分野の友達が多くて、刺激があって面白いですよ。」

と語っており、映画業界だけでなく、多様な分野の人々と交流を広げ、美味しいレストランがあると聞くと、東京の端まででも食べに行くほど行動的です。

人生を楽しみ、年齢にとらわれず 新しい人と出会い、世界を広げる姿勢こそ、戸田さんの若々しさの秘訣なのかもしれません。

戸田奈津子さんの生き方から学ぶ:自分軸を持ち、好きを極めた人生

戸田奈津子さんの人生を振り返ると、何よりも感じるのは 「好きなことを貫く強さ」 です。

幼い頃に父を亡くし、戦争を経験しながらも、彼女は 「自分が納得できる生き方を選び続けてきた」 と言えます。

「周りにどう思われても、自分が望む道を選び、毅然と生きる」

これは戸田さんが大学時代に学び、その後の人生にも一貫している姿勢です。

時代の最先端を走り続ける生き方

今でこそ、多様な生き方が認められるようになりましたが、戸田さんが歩んできた時代は、今よりも 「女性の生き方の選択肢」 が限られていました。

そんな中、彼女は 「結婚しない人生」「好きな仕事を貫く人生」 を選び、何十年も前から多様な生き方を体現してきたのです。

また、戸田さんは 「新しい友人が増えている」と語ります。好奇心を持ち続け、年齢や環境に縛られず、新たな出会いや経験を楽しむ。そんな前向きな生き方が、彼女の魅力となっています。

好きなことにまっすぐ向かうこと。自分の選んだ道を信じること。簡単なようでいて、実はとても難しい。
それを体現し続ける戸田奈津子さんの人生から、学べることは多いのではないでしょうか。

まとめ:戸田奈津子さんは「好き」を貫き続けた人

戸田奈津子さんは結婚という選択をせず、映画と共に生きてきた人生を歩んできました。

「夫や子供がいないから寂しい」わけではなく、むしろ好きなことを貫いたからこそ、後悔のない満足のいく人生を送っているのです。

時代の最先端を走り続け、多様な生き方を体現してきた戸田奈津子さん。そんな彼女の生き方から、私たちも 「好きなことを貫く強さ」を学ぶことができるのではないでしょうか。

それぞれ価値観は違いますが、戸田さんのように自分で決めて後悔の無い人生を送りたいですね。

※戸田奈津子さんの発言は、過去のインタビュー記事をもとに紹介しています。

【参考・引用元】
『美ST』86歳で引退の戸田奈津子さん、トム・クルーズに引き留められていた
朝日新聞:スターの信頼得た戸田奈津子さん 英語上達のために学んでほしいこと
2022年に通訳を引退。トム・クルーズからは「本当に辞めるの? すごく困る」といわれたが…。映画字幕の第一人者、戸田奈津子自伝ノンフィクション『Keep on Dreaming』戸田奈津子