
日本時代には数々の記録を打ち立て、2025年にはメジャーでMVPを獲得した山本由伸選手。
今では順調に見える彼ですが、実はプロ入り1年目に大きな壁に直面していました。
そんなときに出会ったのが、トレーナーの矢田修(やだ おさむ)さんです。
この出会いが、山本選手の野球人生を大きく変える転機となりました。
今回は、山本由伸選手を支える矢田修さんの経歴、2人の出会い、そして深い信頼関係について紹介します。
矢田修さんとは?経歴とこれまでの歩み
矢田修さんは柔道整復師であり、長年にわたって身体のバランスの根本改善にこだわってきたトレーナーです。
山本由伸選手の専属トレーナーとして有名です。これまでに日本代表選手や多くのプロアスリートをサポートしてきました。
1959年、香川県生まれ。
1980年に「矢田接骨院」を開業し、柔道整復師として多くの人々の身体づくりと向き合ってきました。
1988年、院長を続けながら「キネティックフォーラム」を設立。
30年以上にわたり、身体バランスの根本改善に注目し、独自のBCトータルバランスシステムを研究・実践しています。
全国各地で勉強会を開き、トレーナーや治療家の教育・指導にも力を注いできました。
矢田修さんは、近年のトレーニングや栄養、メンタルなどが細分化され「部分的な強化」に疑問を持ち、「人間の体を全体としてとらえる」という独自のアプローチを提唱しています。
そして、その考え方に共感し学んだ多くの人たちが、全国で活躍しています。
山本由伸選手との出会い【プロ入り1年目の大ピンチ】
実は、山本由伸選手の野球人生の中でも、矢田修さんとの出会いは特に大きな転機となりました。
日本時代には数々の記録を打ち立て、2025年にはメジャーでMVPを獲得した山本選手。
今では順調に見える彼ですが、実はプロ入り1年目に大きな壁に直面していました。
試合では好投を続けていたものの、その裏では右肘の張りに悩まされていました。
1軍デビュー後は、1試合投げるたびに肘がパンパンに腫れ、次の登板まで10日休んでも治らないほど。
実はこの右肘の張りは、高校時代から続くもので、無理をして投げていたこともあったそうです。
「このままでは限界が来る」と感じた山本選手は、何度も病院や整骨院に通いました。
しかし原因は分からず、「インナーを鍛えよう」「ストレッチをしてみよう」といった助言を受けても、どれもピンと来なかったといいます。
そんなとき出会ったのが、矢田修さんでした。
山本選手の体の動きを見た矢田さんは、こう伝えたそうです。
「寝る間を惜しんでトレーニングをしたとしても、今の投げ方の延長線でそこには行かれへんよ。そこに行くためにはフルモデルチェンジが必要ですよ。」
そこから山本選手は、矢田さんが考案した「BCエクササイズ」に取り組み始めます。
教わった動きをどのように投球フォームに生かすか試行錯誤を重ねるうちに、徐々に変化が現れました。
そして全身を連動させた投球フォームに変わると、ボールの質(スピードや強さ)がアップし、肘の痛みも消えていきました。
こうして山本選手は、矢田さんとの出会いをきっかけに、劇的な進化を遂げたのです。
山本選手と矢田さんとの信頼関係
山本選手と矢田修さんは、オリックス入団1年目の春に出会って以来、長年にわたってトレーニングを共にしています。
山本選手がメジャーリーグへ移籍した後も、矢田さんは個人トレーナーとしてサポートを継続。
アメリカを訪れて直接指導を行うほか、オフシーズンには山本選手が日本へ帰国し、矢田さんのもとで体の調整を行っています。
山本選手は矢田さんを「師匠」「感謝しかない」と語っています。
2025年のワールドシリーズで、中0日という厳しい登板間隔でマウンドに上がった際も、矢田さんによるサポートが大きな支えになったそうです。
矢田さんもインタビューで次のように語っています。
「60過ぎのじじいやけど、素直に話を聞いてくれる。ありがたいです。よくできた孫なんです。」
長年にわたる指導と信頼関係が、山本選手の安定したコンディションを支えていることが分かります。
まとめ
以上、矢田修さんの経歴や山本由伸選手との出会い、そして2人の関係性について紹介しました。
プロ入り後まもなく出会った2人は、二人三脚で歩み続け、今では厚い信頼関係で結ばれています。
独自のメソッドを研究し続け、進化を追い続ける矢田さん。
そして、野球のさらなる高みを目指し挑戦を続ける山本選手。
互いに「探究心」という共通点を持つ2人が出会ったのは、きっと偶然ではないのかもしれません。
これからも、2人の活躍から目が離せませんね。